のじぎく国体 はじまりました |
- 2006/09/30
- ”ありがとう”心から・ひょうごから
宝塚市の開催競技はバドミントンとゴルフです。
今日は早朝から私用を1件すませ、その後は久しぶりのお休み。かといって掃除などの家事を片づける気力もなく・・・夏の研修会で木村涼子・大阪大助教授の講演を聴いて、買って帰った本をやっと読むことに。
「教育/家族をジェンダーで語れば」 白澤社
木村涼子&児玉亮子
→「女らしさ」「男らしさ」を大切に、という言説から導き出されるのは、性別による社会的位置の優劣だ。だからこそ教育に社会にジェンダーの視点は欠かせない。本書では、気鋭の研究者の2人が互いに呼応しながら、学校や家庭など子どもをめぐる社会をジェンダーの視点で読み解いていく。
「ジェンダーフリー教育」ばかりではなく、ジェンダーという言葉そのものへのバッシングもなされているいま、より平等な社会へ向かうためにジェンダーの視点を持つことの意義を再確認するのに最適な書
(編集部)のとおり、ヘビーな内容でしたが一気に読めてしまいました。
・個人と差異と
・名前の重さ
・スカートとズボンのなぞ
・ロマンスのしくみ
等と続いていき・・私が一番共感できたのは
「母」という陥穽 の項でした。
一人目の子どもが生まれた時には仕事をやめず保育所に預けたところ、その子がぜんそくに。それを自分のせいだと考えて二人目のこどもが生まれた時には退職。しかし、しっかりそばにいて育てた二人目のこどももやはり病気になってしまったのです。その母親の落胆、絶望が伝わってきて・・・
その大きな失意から立ち直る過程で、結局自分はずっと「あるべき姿」を求めて不安と疑問に悩まされていたのではないかと考えるようになります。保育所に預けていたときは「子どもに悪い」とうしろめたさに苛まれ、仕事を辞めて育児に専念してからは「子育てのために自分のやりたいことは我慢せねば」と自分を抑圧し、いずれの場合も自分は憂鬱な母親だった。憂鬱な母親と向き合うことは、子どもにとっても憂鬱なことだったのではないか・・・ここから「母性をひらく」思考の旅がはじまりました。 略
短い言葉でうまく伝えることはできませんが、このような女性の心の内面を深く理解しようとしなければ、決して「少子化」の流れは止まらないと思います。
※札幌芸術の森・野外美術館 彫刻「ふたり」 7/21
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