| 35日法要 | - 2018/05/23
- 5月23日 母の35日法要を西光院にて終えました。一区切りでホッとしています。
実は通夜式で母の話をみなさまへのご挨拶に入れたところ多くのみなさまが労いの言葉をかけてくださいました。母の人生を語る機会はもうないので、その時のメモを残しておこうと思います。 お許しください。
本日はお忙しいところをご参列くださいまして誠にありがとうございました。故人もみなさまのご厚情に感謝していることと存じます。厚くお礼申しげます。 母、武子は大正13年生まれ、軍人だった父親とともに、幼少期は日本各地を転々としていたようです。母のアルバムには「声楽部でのピアノ伴奏」や「お琴の発表会」の写真があり、茶道や華道の免状もいただいていたようで、恵まれた環境で成長してきたようです。 しかし昭和16年に兵庫県立出石高等女学校を卒業後は、父親の他界もあり大学へは進めなかったので、検定試験を受け学校の教員になりました。なんと16歳です。 同じように学校の教員として働いてきた私たちきょうだいですが、母のたどった道はすごいと思うので紹介します。 昭和16年 出石幼稚園で「代用保母」 昭和17年 弘道国民学校で「助教」、そして「訓導」となりました。 夏目漱石の小説に出てくるような厳しい「訓導」という肩書きには驚きました。 戦後、21年「地方教官」となり 昭和22年学校教育法実施により、出石町立弘道小学校「教諭」となりました。 福住小学校、寺坂小学校を経て 大阪市に転居 出石への仕送りのために、父は家庭教師、母はピアノ教師のアルバイトをしながら私たちを育ててくれました。 尼崎市立竹谷小学校、水堂小学校、尼崎養護学校、神戸市立友生養護学校勤務。 60歳定年後も、75歳まで非常勤講師として、実に16歳から75歳までの人生を「学校の先生」として生きた人でした。 尼崎養護学校には創立からで、免許状を見ると、小学校教諭と中学校教諭(音楽)にプラス兵庫県教育委員会・養護学校教諭第1号となっています。兵庫県が全国で早く養護学校ができたので、たぶん日本で1番です。すごい。 また、尼崎養護学校で担任と保護者として出会った川村百合子さんとは親友となり、川村さんが設立した「国際エンゼル協会」をサポートし続けて来ました。 さらに、神戸大学、大阪教育大学、東京教育大学、仏教大学への内地留学を果たすなど、向学心豊かな人でした。 米寿をすぎたころ、大腿骨骨折をきっかけに、宝塚市立病院、第一病院、宝塚病院、リハビリテーション病院への入退院。めふのおうちへの通所、ケアヴィラ宝塚への入所、そして最後は宝塚磯病院でお世話になりました。 入院入所中にはどこにおきましても手厚く治療・サポートしていただきました。関係者のみなさま、本当にありがとうございました。ご近所の方々や、エンゼルのみなさまにはいつも激励していただき、家族一同感謝でいっぱいでございます。 最後に母らしいエピソードです。昨年秋の衆議院議員選挙の時、私はもう病院での投票は無理だと、寝たきりの母には何も言いませんでした。ところがある日 「さとちゃん、きのう衆議院の投票済ませておいたよ。ちゃんと立憲民主党の桜井周さんと書いたよ!」 「戦前、女性には選挙権がなかったので、私はこの権利を大切にしてきたのよ。」 すごい人だなあと思いました。 天晴れ!! 武子さん。 わたしのおかあちゃん 大好きです。
本日はありがとうございました。2018年4月22日 | |