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私は議員になる以前、小学校に勤めておりました。その中で様々な子どもたちとの出会いがあり、充実した28年でした。しかし、決して全てが楽しいものばかりではありません。悩み、苦しみ、何日も眠れぬ日を過ごしたこともあります。 その悩みは何であったかというと、「心を通い合わせる」難しさであり、信頼関係を築き上げるまでの苦しみでもありました。子どもと私。子どもと子ども。保護者と私。など、人と人が関わりあいながら、成長していける場が教室なのです。お互いのまなざしの中から生まれる新しい学びは、個人ではつかみ取れないかけがえのない体験でした。 そこで、すべての教育活動の根幹としてきたことは「人権教育」です。「人権」は、人に対する優しさ・思いやりといった「心の問題」と、その人に対して最低限これだけは守らなければならないもの「侵してはならない法律」だととらえることができます。私は、道徳や人権の授業はもちろん、毎日の学級活動や生活・遊びを通して、「人を傷つけること」が決して許されるものではないと指導し、話し合ってきました。体の傷だけでなく、「心ない言葉」や「差別的な言葉」によって受ける「心の傷」の深さを、相手の身になって考え合ってきました。 ただ、そういった取り組みを一生懸命に続けてきましたが、現実には、新しい問題が次々起こってきました。残念ながら、情報化社会・大人社会をそのまま映したものが、子ども社会であるからです。 すなわち、子ども社会の問題は大人の問題であるととらえ、我々大人ひとり一人が襟を正し、どう生きていけばいいのかを、真剣に考えなくてはなりません。 そこで、今回の市長の「発言」問題についてお伺いいたします。 次に、「市長と議会・議員の関係性の再構築」という観点でおたずねいたします。 私は、今回の「発言」問題は、ある意味「議会ハラスメント」につながる自分自身の課題として考え、心を痛めてまいりました。なぜならば、1年前の初めての議会での質問当日、私は傍聴席のある方から心ない野次を浴びせられ、終了後の廊下でも再び同じようなことがあったからです。 その精神的なプレッシャーのため体の震えが止まらず、議場で体調をくずしてしまいました。1年間ずっとひきずってきた「心の傷」です。 しかし、議会は自由な発言を保障する場でなければならない・・との思いから、今回勇気をふりしぼってこの訴えをすることにいたしました。「人権」という価値観を土台に据えて、お互いの対等な立場を尊重しながら、一人ひとりの市民が社会に参加できることを大切にし、そのシステムを広げていくことこそ、これからの市政運営に求められることなのではないでしょうか。 そのためにも、今一度 市長と議員の人と人としての 信頼関係を 取り戻さなければならないと思っております。 |
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