2.震災復興10年、これからの心のケアについて
 1995年1月の、あの阪神・淡路大震災からまもなく10年をむかえます。復興過程から得た経験や教訓をもとに、残る課題や、今後も継続していく必要のある施策等について、お伺いいたします。
■@小中学校における復興担当教員の役割と今後について
 大震災を直接体験したために、精神的に不安定になり、心のケアを必要とする、兵庫県内の小中学生に対応してきたのが「復興担当教員」です。昨年の兵庫県教育委員会の調査によりますと。今もなおケアを必要とする子どもたちは、1908人のぼるとのことでした。
 これまでに果たしてきた、復興担当教員の役割と、今後の展望・対応をお伺いいたします。
<教育長職務代行者答弁>
 学校における防災教育の計画立案とその実施。心のケアを必要とする児童生徒の把握と対応をおこなってきた
 
■A市の防災マニュアルと学校の防災マニュアルについて
 重要な課題は、学校はどこまで避難所としてあるべきかということです。
 学校は「教育の場」であるとともに、行政の防災計画にある「避難所」として存在しています。これら2つの機能を有するためには、それに応じた設備・・緊急物資を保管する備蓄倉庫の設置やライフラインに関わる設備などが必要となります。
 平常時に、子どもたちが生活し、学び、そだつ「教育の場」としての視点がどこまで組み入れられるのか検討されるべきであると思います。。
 現時点では、学校のマニュアルは「教育の場としての学校」に対応し、行政のマニュアルは「避難所としての学校」に対応しているだけです。
 非常時における実際の人の動きを指示する2つのマニュアルが、どこまで同時に存在可能なのか、学校と行政部局とのお互いの課題ではないでしょうか。
 さらに、各学校のマニュアルは画一的でなく、近くに河川や池がある学校と、山間部の学校など、その学校の立地条件や、周辺地域の様子によって、個々の配慮がなされる必要が、あるのではないでしょうか。
<市長答弁>
 発災直後において教職員の協力なしでは適切な避難所運営は困難と想定している。混乱を招かないように、学校独自の防災マニュアルを作成することとなっている。
<教育長答弁>
 画一的でない防災マニュアルの作成や、様々な場面を想定した訓練の実施を図っていきたい。
防災2次質問

@防災のことについて質問いたします。防災の件では、全体の感覚として、市の防災防犯課は「避難」ということになったときに教育委員会に任せていますというふうな雰囲気というか、実際そうだと思うんですけれども、それでいいのですかということの問いかけをしたつもりです。教育委員会は本当に学校の教育活動のさまざまなことについて責任を負っておりますけれども、避難所が実際に開設されるというような状況におきまして、市の職員がきちんと対応できるまでの間に、本当に対応していく不安というものをもっているという状況ですし、教育活動以外のそういった支援を全部学校に任せているような状態ではないのかなと、今思うんです。
 先日の8月30日の台風16号対策の時も、避難所として実際避難してこられた方がありましたが、本当に機能としての備蓄倉庫のこととか、管理点検がそのときうまくいったのか、そのとき明らかになった課題とかはないのでしょうか。それは教育委員会サイドではなく、防災防犯課として市内全域の避難所をどうとらえたのかという点についてお伺いしたいと思います。

A
 阪神淡路大震災は早朝、つまり授業時間外に発生しました。そのため学校は、当初から「避難所としての学校」であればよかったのです。しかし、授業時間中の災害発生を考えるとどうでしょうか。
 全校児童生徒と、せっぱ詰まった避難者とが、同時に学校で交錯するのです。そんなとき、ほとんどの教職員は子どもたちの安全確保に集中することになると考えられます。当然です。
 市のマニュアルでは、
「避難所開設及び運営の実務については、災対教育部本部員が災対健康福祉部本部員等関係各部長と協力して、それぞれの施設に複数の職員(うち一人を責任者として指名)を派遣して担当させる。
 ただし、災害の状況により緊急に開設する必要がある時は、各施設の管理責任者・勤務教職員又は最初に到着した市職員が実施する。」となっています。つまり、緊急の場合は避難所開設とか運営を誰かが行わなければならないわけなんですが、」その誰か・・というのは誰になる可能性もあるということなんです、この言葉から言えば。本当に担当者が市から到着するのを待っている状況が大丈夫かどうか。責任者が不在のときでも、責任者が到着しなくても、決断する人が決断できる準備をしていく必要があると思うのですが、そういった点はまだ不備ではないかなというふうに考えています。
 これらを鑑みても、児童生徒の引き渡し訓練や、避難者の誘導方法、災害対策本部への連絡など、現実におこりうる様々な状況を想定し、実際の教職員の動きをふまえた訓練が、行われているかどうかが、2番目の課題ととらえています。

 B番目の課題は、地域情報と、学校情報の共有化です。
 震災時には、その連絡手段の途絶から学校が大きく混乱しました。最近では7月の新潟県での水害時にそのような混乱があったということです。電話がつながらない場合やその地域が孤立してしまう等の想定もしながら、第2第3の情報伝達手段を講じておくべきでしょう。また連絡がとれなくても、的確に行動できるような仕組みも整えておくべきではないでしょうか。
 また、新潟福井両県を襲った豪雨に続き、台風16号による被害でも、逃げ遅れた高齢者の犠牲が目立ちました。
 小学校区・中学校区には、どれだけの住民が生活し、いわゆる「災害弱者」である高齢者・障がいのある方々がどれだけおられるのか。そういったことも「情報」として前もってとらえておく必要はないのでしょうか。
 
C
宝塚市史には、たびたび、武庫川の氾濫の災害が載っています。私が、末広小学校に勤務していましたときにも、大雨による増水があり、不安になられた高齢者が自主的に、避難して来られました。先日の台風の折りにも、夜を過ごすことが不安だという高齢者のご夫婦が宝塚小学校に避難してこられました。今日もあったというように聞いております。
 最近でも、山火事による避難があったり、土砂崩れや台風の被害がおこったりしています。
 新たな防災教育の視点として、その地域の地形や地質を学ぶような、地域教材の開発、ハザードマップ作成などが、考えられるのではないでしょうか。
 これは学校だけにとどまりません。住民が、周辺の地形や地質を知ることによって、災害に備え、被害を減らす「減災」が可能となってくるわけです。
 防災に関する、このような視点について、当局の見解をお伺いいたします・

 

 
■B災害公営復興住宅の、現状と課題について
 震災被災者のための復興住宅に、現在入居されている方々は、市内全域の高齢化率17.6%に対して、28.8%と、11ポイントも高い比率になっています。なかには、高齢化率80%、残り20%は、若くても低所得であったり障がいのある方などであったりという小規模の住宅もあります。また、独居高齢世帯の割合も、70%と高いのです。
 復興住宅では、高齢化や健康の問題などが原因で、自治会などの組織を作ってリーダーシップをとる人がいなくなってきてきている、という現状があります。
 共用部分やゴミステーションの清掃、植木の水やりなど、そして最も大変なのは共益費などの集金・管理・運営をする管理業務です。こういった住宅管理を支援する必要があると思います。
 施設面では、中筋山手住宅・御殿山住宅にはエレベーターがなく、階段の昇降がしづらい方々には、大きな問題です。
 エレベーターの早急な設置など、バリアフリー化が望まれますが、当面の対応として、足が不自由になられた方などには、1階住宅に移ることも可能にする等、柔軟で幅のある対応を、速やかに実施していただけないでしょうか。
 ある入居者が、「ここは職員のいない老人ホームだ」とおっしゃっていました。何かの災害時には、助け出す若い人もいないわけで、逃げ切れないのではないかと、心配になります。
 このような、何らかの見守り対策が必要な高齢者が多い、復興住宅における課題を、解決する必要があります。どのような対策や、支援ができるのでしょうか。お伺いいたします。
<市長答弁>
 単身・高齢化が進んでおり、生活援助員を配置し、緊急通報装置等を備えたシルバーハウジングの整備を行っているところである。
 
■C震災復興住宅における地域見守り支援について
 まず、復興住宅に住む人々に、なぜ見守り対策が必要なのか、当局の認識についてお伺いいたします。
 復興住宅にお住まいの方は、震災によって住む家を失い、仮設住宅で暮らし、頼るところもなく・・・この住宅に来られたという方がほとんどです。身寄りと疎遠になっている方、あるいは身寄りのいない方もあります。
 長年住み慣れたそれぞれバラバラのところから、移り住んだわけですから、近所に住む人同士のつながりも、薄いのが当然です。生活援助員以外、誰も訪ねて来ないという独り暮らしの方もいます。
 自立を望むができないもどかしさ、老いての不安、寂しさ、体調不良、通院の苦しさ。
 あの震災によって、人生を大きく変えざるをえなかった人たちです。今もなお、心のキズを抱えたまま、年齢を重ねていっておられます。いわゆる<PTSD心身外傷後ストレス障がい>です。具体的に、事例をあげてみましょう。
 ある住宅の近くで、山火事があった時のことです。煙がたちこめたり、ヘリコプターが飛び交う様子が、あの時を思い出させたのでしょう・・・不安になり、そして鬱ぎこんでしまったという方があったのです。また、外国の地震や国内の水害など、色々の災害の様子や避難所の様子が報道されると、フラッシュバックを起こす方もあります。
 台風で屋根が吹き飛んだ住宅では、「大きな音がするたびにドキドキしてしまう」と聞きました。
 9月5日の地震の時は、阪神大震災の時の恐怖心がよみがえり、身がすくんで動けなかった人、不安で一睡もできなかった人がいました。老親介護中の方は、身動きできない母親を車椅子に乗せて、避難準備され、たそうです。相談員が訪ねていっても、応答できず寝込んだままの方もありました。
 ある住宅40軒で、この3年間に13回もお葬式がでた・・・という現実。
 ただ高齢というだけではない、ただ独り暮らしというだけではない、震災被害をきっかけにした様々なことが凝縮された社会といえるのではないでしょうか。
 「心が立ち直れていないと感じる」という、ある生活援助員の言葉を、私は重く受けとめました。
 高齢世帯生活援助員SCSは、復興基金の県の事業として行われています。神戸市80人をはじめ、8市1町に設置。宝塚市では6人のSCSが活動しています。対象世帯数は約400軒。
 生活相談にのる等して絆を深めたり、病気で寝込んでいた人を病院へ搬送したりして、命を助けたケース、関係機関との連絡や、お葬式の段取りをした、という報告もされています。
 住宅や生活のハード面から、健康や心の問題といったソフト面まで、多岐にわたる相談内容です。震災後10年を経て、復興基金事業終了となるならば、SCSが果たしてきた役割を、今後どう担保していくのかお伺いいたします。
<市長答弁>
 定期的な見守り等の支援や個々のニーズに対応した幅広い支援を実施していきたい。
SCS2次要望

SCSの件について。シニアシチズンサポーターというSCSですが、実際ここに当たっておられ方はSCSじゃなくてSOSだと言っておられます。先ほどの見解のなかに、市としては災害復興にかかわる部分は関知していないというようなふうにとれたのですが、子どもたちは10年たったということで、まわりの状況は色々あるけれども成長してきています。しかし、高齢者の方はどうなんでしょうか。年月が過ぎれば、1年1年高齢になられて、年を重ねていっておられますので、年を追うごとに新たな不安や体の衰えなどもあるわけです。だから、ある一定の年月が過ぎて終わりましたということは決してないということ、県がおこなった事業でありますけれども、市内にお住まいの方の状況、当事者の声とかを受けとめているのかなと、今聞きますと感じられないわけなんです。まずそういう受けとめが必要ではないかと思いますが、いかがでしょう。
 基金が終了し、一般施策化されても、公的支援者による見守りを継続するよう、県に強く要望していただきたいと思います。
 また、それでも、県の支援廃止となれば、新たに宝塚市で、被災者への心のケアと、支援を行う制度を新設するようお願いいたします。
 SCSによる見守り・支援がなくなると、誰に相談したらいいのかわからない人が増えるにちがいありません。閉じこもりになっている人は、誰も訪問してくれないのではないかと、今から不安になっているそうです。
 「もうこれ以上<孤独死>をさせたくない!」とい悲痛な叫びを、どう受けとめ、どう対処していくのですか。
 近隣のコミュニティなどとのつながりも深め、住民同士の見守りが出来るような働きかけも、是非行ってください。引きこもりがちな高齢者の仲間づくりをどうやって行うかも課題ではないでしょうか。
 これからの災害復興公営住宅にお住まいの方々への支援を、民生委員さんに託す・・・という答弁がありましたが、他の多くの役割も担っておられる民生委員さんには、多くを期待できないのが当然です。
 やはり、一般住宅とは異なった、支援体制づくりが急務です。
 最後に、こういう心情的な部分でのお願いというようなことの質問になっているのですが、経費の部分から一つ意見を言います。
 SCSには年1800万円ぐらいの予算があります。例えば、今訪ねていっている高齢者の方が要介護状態になった場合、月25万円で年間大体300万ぐらいの経費がかかるときいています。400世帯のうち10人ぐらいでもそういう要介護状態になった場合には、SCSの費用をはるかに超えてしまうような支援が新たに必要となってきます。つまり、SCSは経費節減にもなっているというか、高齢者が元気で生き生きと生活することを支える予防施策ともいえます。この点につきまして答弁をお願いいたします。

 

 

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